Shouu YAMADA
山田 聳宇
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書道家/山田聳宇 プロフィール
一九五一年、北海道狩勝峠ふもとの新得町生まれ。別号に「参休」。北海道教育大学岩見沢校書道科卒。石川玉舟・藤根星州・長谷川白羊各先生に師事し益を受く。中学時代、玉舟先生より山口子羊・桑原翠邦・石田栖湖の存在を識る。同門先輩の岡田大岬兄がご近所住まいで、兄の屋根裏研究室には高校生の頃、頻繁に訪れてしだいに書に洗脳されていた。同じ時期に、金田幽翠・岡田大岬・田頭玄峰各兄らが結集した書の熱狂的研究集団〈潤硯会〉に参加する。当時、小樽からは渡部半溟兄が学生服姿で通っていた。この頃、近代では沙鷗・比田井天来・川谷尚亭の書美に開眼する。高校時代に山口子羊遺作展が開かれて、会場に日参。書のめざす方向を見出す。公募展出品は拒否し、自分に向かって書くことを志向。確認や検証となる発表の場をグループ展と個展に限定していった。グループ展は、大学四年の時の尚樸会を出発として、これまでに二・三年間隔で開いてきた。ほとんど札幌の大丸セントラルギャラリーを拠点にしての展覧だった。89年の庚午書展(10人展)だけは東京の渋谷でも展開した。50歳代前後からは、燎の会に参加。三回展後に解散。その後は、学生時代の仲間らと方舟会を立ち上げる。個展は92年に1回展。22年に13回展。場所は札幌大丸セントラルスカイホールと銀座画廊美術館に池袋の東京芸術劇場。出版ー「書のレッスン」「美しい書の風景」「書の散歩道」。作品集・図録は三冊。 方舟会同人。書の文化塾・風心会書展主宰。日本書人連盟常任総務・審査員。書宗院参与理事。
教室・書の文化塾
それぞれの塾は、1〜2名の募集をしています。(2022年4月末現在)
方舟会
ジジイ達はどこに向かうのか(2020年・方舟会書展のご案内)
同人七人のほとんどが古稀へ。彼らはかなり若い時分から接点をもち、それも早いうちから関係はからみ交錯して、今日までつながってきています。
四人は中学校の書道部で、三人は大学の書道研究室で、二人は京都の下宿で。社会人になってからも、いろんなグループ展に、二人、三人または四人で参加して、10数年 前に方舟会を立ち上げました。
2020年からは大久保さんが新規参入。50代半ばのバリバリの現役。書道と同じく、声楽の専門家でもあって、大学教官の他にリサイタル等で活躍。才能豊かな御人が加わったことで、ジジイ達は種々刺激を受けています。
私達は、書の古典のもつ美への尊崇の念篤く、その美の内容をどれだけ汲み上げて紙面に表現できるかに最大の関心をもっています。いわゆる臨書という芸術です。一本ずつの線にこめられた書き手の筆意を読み取る営みは、模倣や模写とは一線を画するものです。書の古典と言っても書道全集に収載されている全てのものを、私達は臨書の対象としていません。書美の栄養価値が低い後代のものは、一部の例外を除いて臨書からはずしています。
中国では古代から唐代まで、日本では平安時代のものまで。比田井天来の思想を受継いでいます。
明治生まれの北海道出身の書家に、桑原翠邦・山口子羊・石田栖湖という傑出した書 かわたにしょう 家がいらっしゃいます。天来や川谷 尚亭の思想と書を全身で受け止めて生涯をまっと うして、数々の名品で私達を感化し続けています。その先達にも嫌われないような書を書けたらなと思っています。
男の生活寿命が74歳と聞いたことがあります。それにかなり近付いてきています。 少しでも美の核心にせまって行きたい。そして王羲之や顔真卿から「前よりはなんぼか 良くなったかもしれない」と言われれば本望です。ありえない目標に向かって筆を持ち 続ける覚悟です。これが七人の共通点で、それが半世紀を超えるきずなの原点かもしれ ません。
■ 同人―
大久保 北叟(1965年 白糠出身、札幌と千葉往復)
大 澤 千仭(1951年 苫小牧出身、札幌在住)
佐 藤 仙翠(1949年 赤平出身、札幌在住)
富 樫 草臥(1951年 山形出身、札幌在住)
中 村 六處(1952年 十勝出身、十勝在住)
山 田 聳宇(1951年 十勝出身、札幌在住)
山 田 倘羊(1953年 十勝出身、札幌在住)
風心会
新人の真剣さ (第12回風心会書展)
書歴の浅い会員たちの多い会です。そのなかでもさらに書を学 び出して五年未満の方が目立ちます。しかし、このシロウト集団の命をかけた表現には、目をみはら されます。〈これぐらい書ければいいだろう〉に安住したくなる ベテラン達や指導者の作品を、時には駆逐するからです。ただ、 ベテランの一部では、半切より大きい雅仙紙に、縦に横にと向か い出しました。意欲の表れとみています。
書の学びは、古典の臨書をおいては考えられません。空海や顔 真卿、褚遂良の劇蹟など古典はまさに書美の宝庫。それらの線一 本一本がどう書かれているか。その線はどう書けば、古典の筆意を汲み上げた線になるのか、それはまさに芸術的な営みと考えています。(2021年7月)